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パルチザン・ディフェンス・コミティ、 2006年1月25日

ムミアは無実である

ムミア・アブ−ジャマルを釈放せよ!

人種差別主義の死刑を廃止せよ!

 ムミア・アブ−ジャマルは、不当にもフィラデルフィア警察のダニエル・フォークナー殺害で有罪判決を下され、約24年もの間死刑囚監房に収容され続けてきた。資本主義「司法」制度のあらゆる構成部分は、結託して、この元ブラックパンサーのメンバーで黒人コミューン運動MOVEの支持者に対し、でっち上げを行ったのである。なぜならムミアは、抑圧された人々のための雄弁で挑戦的な代弁者だったからである。彼に対する有罪判決は、物的証拠のかけらもなく、警官によって強要された嘘の証言に基づいていた。法廷速記者によれば、ムミアの裁判で判事を務めたアルバート・セイボ、全米で最も死刑判決を出すことで知られるこの判事は、「あのn----r(人種差別主義の悪罵)を電気イス送りにする」のを手助けすると口にした。黒人を除外するため陪審を不正に操作した検察は、ムミアが十代のときにブラックパンサー党のメンバーであり、したがって「そのときからずっと」警官殺しに関わっていたというばかげた嘘で陪審員たちの怒りを煽り立てた。ムミアが「次々と控訴」するだろうから、陪審は彼の罪へのいかなる疑問も無視してかまわないという論拠で有罪が確定した。

 国家は、相も変わらず、無実のムミアをなんとしてでも処刑しようと決意している。およそ20年にも亘る訴訟のなかで、どの裁判も、ムミアへの露骨なでっち上げを示す大量の証拠書類を却下してきた。米国連邦裁判所と同様ペンシルヴァニア州立裁判所は、4年以上もの間、ムミアではなく自分がフォークナーを撃ち殺したというアーノルド・ベヴァリーの宣誓供述を考慮することさえ拒否してきたのである。

 ムミアを釈放する闘いは今極めて重大な時期を迎えている。2005年12月、米国連邦控訴裁判所は解決に向けてムミア裁判を「速める」決定をしたのだ。ムミアも検察側も、2001年に米国連邦地方裁判所のウィリアム・H・ヨーン判事が下した判決、つまり死刑判決は覆すがムミアに対するでっち上げの有罪は全て支持するという判決に対し、控訴している。近いうちに、それも早ければ6ヶ月ほどで、裁判所はムミアが次にどうなるのか、つまり死刑か、終身刑か、それともさらなる司法手続きかを決定することになるだろう。

 2005年12月にカリフォルニア州当局が行ったスタンリー・トーキー・ウィリアムズの死刑執行は、不吉な影を投げかけるものである。アメリカ国内でも国際的にも激しい抗議を呼び起こしたこのウィリアムズの合法的リンチは、人々が死刑の適用方法に関して益々無口になるなかで、死の機構を強化しようとする米国資本主義支配者の決意を示すものだった。アメリカの主要な政治犯であるムミア・アブ−ジャマルは、死刑執行人たちが狙っている第一の標的である。カリフォルニア州のアーノルド・シュワルツネッガー知事は、ウィリアムズのための寛大な処置を拒絶した際、このことを明確にした。彼は、1998年のウィリアムズによる著書『獄中生活』が、とりわけムミア・アブ−ジャマルに捧げられていたという事実に言及したのだ。

 ムミアの裁判は人種差別主義の死刑が一体何であるのかを物語っている。死刑は合法化されたリンチ用絞首ロープであり、政府が労働者階級と抑圧された人々を標的として蓄えている抑圧手段のなかで究極の武器である。奴隷制の遺物である死刑は、黒人の大部分に対する人種的分離が労働者大衆を分断する楔として利用され、又資本よる貪欲な支配を永続させる社会において維持されている。人種差別主義の資本主義制度の残虐性は、昨年ハリケーンのカタリーナに襲われたニューオーリンズで、圧倒的に黒人や貧しい人々だった何千もの人々が死ぬがままにされた際、だれの目にも明かにされた。

 ムミアの控訴は、米国政府が感知した敵対者を消し去り、拷問し、暗殺さえする「権利」を主張し、又だれでも盗聴し監視する「権利」を主張するという背景のもとで行われている。「テロとの戦い」という名目の下で、これまで激しい階級闘争や社会闘争を通じて獲得された諸権利は、民主党の支持を得たブッシュ政権により粉々にされつつある。その目的は、資本主義支配者による仮借なき利潤追及とイラクの植民地占領のような帝国主義の冒険を推し進めるうえで、邪魔となる人々を恐怖させ沈黙させることである。

 ムミア裁判が司法手続きの最終段階へと進んでいるなかで、彼の釈放のための闘いは緊急を要するものとなっている。スパルタシスト同盟/米国と連携した階級闘争の合法的社会的防衛組織であるパルチザン・ディフェンス・コミティ(PDC)は、ムミアの利益においてあらゆる法的手段を追求する立場に立つ一方で、資本主義裁判所の「正義」にはまったく信頼を置いていない。われわれは、宣伝や行動を通じて、ムミアの釈放と人種差別主義の死刑廃止を要求して、労働運動を中心とした最も広範な社会勢力を動員するために闘ってきた。1995年8月ムミアが処刑される危険に直面したとき、アメリカ国内や国際的にも、市民の自由を擁護する諸組織や南アフリカのネルソン・マンデラのような国家元首たちから、何百万もの労働者を代表する労働組合に至るまで、大規模な抗議の嵐が巻き起こり、ムミアの死刑執行を停止することに成功したのである。

 今日、われわれは一層大きな困難に直面している。しかし、ムミア釈放のための闘いは、もしも労働者階級の社会的力に基づく動員を通じて遂行されるならば、益々腐敗し邪悪な米国支配者からわれわれ全てを防衛するのに、巨大な前進をもたらすだろう。

でっち上げのからくり

 資本主義国家の視点では、ムミアは、1969年に15歳でフィラデルフィアのブラックパンサー党スポークスマンだったときから、葬り去るべき人物であった。その当時FBI長官だったJ・エドガー・フーヴァーは次のように断言した。「黒人の若者や黒人穏健派に、もし革命的な教えに屈したならば、命を落とすはめになるということを理解させなければならない。」この政策は、リンドン・ジョンソン大統領とラムゼー・クラーク司法長官による民主党政権の下で、そしてリチャード・ニクソンの共和党政権の下で実行された。COINTELPROとして知られるFBIの「敵対情報活動」プログラムの下、38人のブラックパンサー党員が殺害され、何百人もの党員がでっち上げにより刑務所へ送られたのである。

 PDCがムミアのために入手に成功した900頁におよぶFBIの調査ファイルには、かなり削除修正されていたとはいえ、FBIと警察がムミアの逮捕という任務を遂行するうえで「卑劣な手」を駆使したことが、明かにされている。ムミアの行動は逐一監視され、彼の名前は1960年代の「テロリスト」暗殺対象者リストともいうべきFBIのセキュリティー・インデックス(Security Index)に記載された。ブラックパンサー党が消滅してさえも、国家はムミアに対する憎悪をやめなかった。ムミアは「声なき人々の声」として知られるジャーナリストとして黒人の諸権利を熱心に擁護したが、そのことが国家の怒りを買い続けたのである。とりわけフィラデルフィア警察は、ムミアが国家テロの猛攻撃に晒された黒人コミューン運動MOVEに同情的報道をしたことで、怒りに燃えていた。

 ムミアは、彼の政治的信念のために、彼の著述のために、そして彼の発言のために、国家の抹殺対象とされていた。そして、1981年12月9日未明、フィラデルフィアの13番通りとロカスト・ストリートの交差点で、警察はついに格好の機会を見いだしたのである。ムミアは、その夜この近辺でタクシーを運転していた。すると彼は銃声を耳にし、人々が走っているのを見た。そして実の弟であるビリー・クックを目にし、彼を助けるためにタクシーから外に出た。その数分後、ムミアは胸部に銃弾を受けて瀕死の重傷を負った。近くにはダニエル・フォークナー巡査が負傷して倒れていた。フィラデルフィア警察は待ちに待った機会を見いだし、それを利用してムミアを「警官殺し」にでっち上げたのである。

 検察の主張は次の3点を根拠としたが、それら全てが嘘に基づいていた。第一に見返りの恩恵と脅しで「目撃者」から強要した証言。第二に銃撃事件当夜にムミアが語ったとされる「自白」。この「自白」はあまりに見え透いた捏造であり、事件から数ヶ月も経過してから取り沙汰されるようになったものである。第三に存在するはずのない弾道学的特性上の「証拠」。2001年に、こうしたでっち上げは、フォークナーを撃ったのは自分だとするアーノルド・ベヴァリーの自白によって、粉々に吹き飛ばされた。PDCのパンフレット『ムミア・アブ−ジャマルは無実である』のなかには、ベヴァリーの宣誓供述が記載されている。彼は次のように述べている。
「私は、もう一人の人物といっしょに金で雇われ、フォークナーを撃ち殺しました。聞いた話では、フォークナーはマフィアや汚職警官にとって目障りな人物でした。なぜならフォークナーは、市中心街での売春やギャンブルや薬物取り引きを含めた違法活動を告発なしに行われた汚職や賄賂について嗅ぎまわっていたからです。」
 「フォークナーは、ジャマルが現場にやってくる前に、背中を撃たれ、さらに顔面も撃たれました。ジャマルは射殺事件とは何の関係もありません。」

 ベヴァリーはさらに現場から逃げ去った第二の銃撃犯がいたと述べている。このことはムミアの弟ビリー・クックの宣誓供述によって裏付けられている。クックは、その夜に13番通りとロカスト・ストリートの交差点で、友人のケネス・フリーマンを自分のフォルクスワーゲンの乗客席に乗せていたと証言している。後にこのフリーマンは、自分がフォークナー殺しの計画に関与していて、射殺に加わった後で現場から逃げ去ったとクックに打ち明けた。このことはさらに、当夜現場にいた目撃者であるウィリアム・シングルタリーの証言を確証するものである。シングルタリーは、クックのフォルクスワーゲンから一人の乗客が降り、フォークナーを撃ち、そして現場から逃げ去るのを見たと証言しているのである。

 射殺事件の当夜現場に居合わせた少なくとも6人の目撃者は、いくつかの異なる地点から、一人または複数の黒人が逃げ去るのを目撃している。銃撃直後に流された警察無線の「速報」は、銃撃者がフォークナーの拳銃を持って現場から逃げ去ったと伝えている。警官2人を含む5人の目撃者は、銃撃者は緑色のアーミージャケットを着ていたと述べており、この夜ベヴァリーとフリーマンはともにその服装をしていた。ムミアは青い縦縞入りの赤いキルトのスキージャケットを着用していた。ところが、警察の証拠には緑色のジャケットのことなどいっさい出てこない。

 ベヴァリーは、ムミアが事件現場で警官たちに撃たれたと供述している。この供述は、権威そのものに外ならないフィラデルフィア州検死局によって立証されている。つまり、射殺事件当日の朝に記された同検死局の記録は、ムミアがフォークナーによってではなく、「応援に駆けつけた警官たち」によって撃たれたと発言した殺人課の警官を引合に出している。ベヴァリーは銃撃があった時に私服警官や制服警官が現場付近にいたと供述しており、その他の証人の発言もそれを裏付けている。ベヴァリーは、付近にいた警官たちがフォークナーを殺害する計画で待機しているものだと思っていた。目撃者の一人であるマーカス・キャノンは、2人の私服警官が銃撃現場のあった通りの向かい側にいたのを目撃している。ウィリアム・シングルタリーも、発砲の直後に「白シャツの人物」(指揮官役の警察官)が現場にいたのを見ている。

 検察は、警官が自分の仲間の一人を殺害するという考えを、信じられないつくり話だとして無視している。しかし、ベヴァリーが2つの嘘発見器テストにパスしたのを別にしても、彼の供述は、フォークナーが殺害された1981年当時、警官とマフィアとの癒着を含むフィラデルフィア警察の汚職に関して、少なくとも3件の連邦捜査が進行中であったという事実と合致している。1980年代初め、FBIの情報提供者として活動した警官は、暗殺の犠牲者となった。ある元連邦検察官は、FBIが警官の兄弟がいる警察内部の情報提供者を持っていたと認めているが、フォークナーには正に警官の兄弟がいたのである。

 元FBIの警察汚職捜査で情報提供者を務めたドナルド・ハーシングは、彼の宣誓供述において、フォークナー射殺事件当時、FBIは警察内部に情報提供者をもっていたとの噂が広まっていたことを証言している。フォークナー殺害が起こった区域の中央警察局の局長や警察殺人捜査課の課長、それにフォークナー殺害現場に居合わせたアルフォンゾ・ジョルダーノ先任警部は、その当時いずれも汚職容疑で連邦捜査の対象者とされていた。これらの警察官こそ、ムミア・アブ−ジャマルへのでっち上げを行った指揮系統に他ならなかったのである。

 ジョルダーノは、人種差別主義で悪名高いフィラデルフィア警察署長で後に市長となるフランク・リッゾの右腕であった。1966年から70年にかけて、ジョルダーノは「張り込み」警官隊の責任者であった。彼の警官隊は、1970年のブラックパンサー党本部に対する警察の一斉手入れで先導役を果たした。ジョルダーノはまた、1977年から78年にかけてMOVEのパウエルトン・ヴィレッジの建物を15ヶ月間に亘り警察が包囲した際に指揮を取った。この包囲の結果、MOVEのメンバー9人が警官殺しのでっち上げ容疑で刑務所送りとなった。ジョルダーノはムミアがどんな人物か正確に知っていた。事件現場で指揮していたジョルダーノ警部には、フォークナー殺しでムミアをでっち上げる動機も機会もあったのである。

 ジョルダーノは、殺害に使ったと推定されるムミアの拳銃が、路上に横たわるムミアの傍らにあったとの主張を始めた。ところが、警察の無線記録によれば、大勢の警官が現場に駆けつけてからおよそ14分経過しても、依然として警官たちは拳銃を探していた。ジョルダーノはタクシー運転手ロバート・チョバートの証言によってムミアを銃撃犯としてかたづけたが、そのチョバートは後に検察側の証人となった。ムミアの公判前の審問で、ジョルダーノは検察側の中心的な証人であった。しかし彼は、実際の公判で証人として召喚されることは決してなかった。ジョルダーノは公判直前に内勤の仕事に転属となった。そして、ムミアが有罪判決を受けた翌日の就業日に警察を辞めた。1986年には、1979年から80年にかけて違法な賄賂で何万ドルかを受け取ったとする連邦捜査の容疑について、減刑を目的として自白した。ジョルダーノは一日たりとも刑務所で過ごしてはいない。

検察側の嘘八百

 検察の話によれば、フォークナーが射殺された13番通りとロカスト・ストリートとの交差点には、2人の人物がいた。ムミアの弟のビリー・クックとフォークナーである。検察側は、ムミアは弟クックがフォークナーに暴行を受けているのを見て、通りを走って横断してきたと主張している。警察と検察によれば、ムミアは警官の背中を撃ち、警官はムミアに撃ち返した。それからムミアは倒れた警官を見下ろすように立って、警官の頭部を「処刑式」に数回撃った。しかし、警察や検察側の証拠を詳しく調べると、このシナリオが虚偽であることが判明する。検察側が主張する「3つの根拠」を検討すると、ムミアの無実がまったく明らかになるだけでなく、ベヴァリーの証言もはっきりと裏付けられることになるのである。

 検察側の証人たち:1982年の裁判の時、警察と検察は脅しと見返りの恩恵を与えたにもかかわらず、ムミアがフォークナーを撃ったのを実際に見たと証言する目撃者はいなかった。ただ一人、検察側の重要証人であるシンシア・ホワイトだけは、ムミアが道路を横断したとき、その手には拳銃が握られていたと思うと証言している。この地区で売春婦をしていたホワイトは、13番通りとロカスト・ストリートの交差点の南東側からこの事件を目撃したと主張している。ところが、他の2人の検察側証人、それにホワイトを知っている2人の弁護側証人も、みなホワイトが銃撃の間その場にいたのを否定したのだ! 別の売春婦たちは、その後に開かれた法廷審問の際、ホワイトが証言を引き出そうとする警察から見返りの恩恵を与えられたり脅迫されたりしていたと証言している。

 ロバート・チョバートについて言えば、彼は当初、銃撃者が「逃げ去った」と警察に語った。取り調べが進むにつれて、チョバートは話の内容を変え、ムミアは銃撃の間フォークナーを見下ろすように立っていたと述べ、また逃げ去った者などいなかったと主張するようになった。タクシー運転手のチョバードは、運転免許を停止されており、しかも重罪の放火罪により執行猶予中の身であって、証言と引き替えに検察から恩恵を与えられたのである。彼は後になって、銃撃など目撃しなかったことを認めている。国家の側の3番目の証人はマイケル・スキャンランである。スキャンランは当初、ムミアがフォルクスワーゲンの運転手だと述べていた。しかし、その後銃撃者がロカスト・ストリートを走って横切ったと主張するようになった。これはベヴァリーが自分のした行動だとして認めているとおりである。スキャンランはまた、彼が目撃した人物がムミアだったのかどうか分からないとも述べている。

 弾道学的特性と科学捜査:検察は、弾道学的特性上の証拠によって、殺人に使われた凶器がムミアの拳銃と「一致する」と主張した。ただし、この「一致」が何百万丁もの他の拳銃にも当てはまるということを認めている。事件当夜にムミアの拳銃が使用されたという証拠すらないのである。拳銃が最近発砲されたかどうかを調べるために、ムミアの手又はムミアの拳銃を検査する機会など、いくらでもあった。しかし、警察によれば、標準的な捜査手順であるそうした検査すらまったく行わなかったのである! ムミアの拳銃を拾ったと主張する張り込み警官は、2時間以上もそれを引き渡さなかったのであり、拳銃に手を加えるには十分すぎるほどの時間を準備できたのである。

 検死官の報告では、フォークナーは44口径の銃で撃たれたとされている。しかしながら、ムミアの拳銃は38口径であった。警察の鑑識課は、フォークナーの頭部から摘出された主要な銃弾破片が非常に損傷していて、検証不能であると主張した。それにたいして、弁護側の弾道学的特性の専門家はこの主張を否定した。フォークナーの頭部の傷口から摘出された2つ目の銃弾破片は、ただ跡形もなく消え去ってしまった。

 現場に残された証拠、つまり銃弾破片や血痕や歩道の芝生のはがれた跡は、フォークナーが地面に倒れている間に何度も撃たれたとする検察側の主張を反証している。銃弾パターンは、ベヴァリーの証言どおり、銃撃者が複数であることを明らかにしている。現場で見つかった銅製の薬きょうは、フォークナーの拳銃ともムミアの拳銃とも一致せず、それ以外の銃が使用されたことを示している。同様に、O型の血液が現場で発見されたが、フォークナーもムミアもクックもみなA型であり、それ以外の人物が現場に居合わせ負傷したということを暗示している。検察側の主張するように、もしムミアがフォークナーを見下ろすように立っていた時に撃たれたとするならば、彼が負った傷口の角度は説明不可能である。しかしながら、ムミアの傷口は、彼が現場にいた警官に撃たれたとするベヴァリーの証言と一致するのである。

 「自白」:でっち上げの最後の根拠は、ムミアが治療を受けるために搬送された病院で、血だらけになって横たわりながら、警官を殺ったのは自分だと叫んだという主張である。ところが、病院でムミアの警護にあたった警官は、その日ムミアは「何もしゃべらなかった」と報告している。実際、ムミアは片肺を銃弾で撃ち抜かれて瀕死の重傷を負っており、そのうえ路上や病院で警官にこっぴどく暴行を受けたため、何も「叫ぶ」ことなどできなかったのである。ムミアの「自白」なるものは、射殺事件の2ヶ月後に、検察が警察との円卓会議で捏造したものだった。

 警備員のプリシア・ダーハムは、警察がでっち上げた虚偽の「自白」を援護する唯一の病院従業員であった。2003年、ダーハムの義理の兄弟であるケネス・ペイトは、ムミアが自白したと証言するよう警察に強要されたことをダーハムが言っていたと断言した。ペイトはまた、ムミアが「放してくれ、放してくれ、奴らは私を殺そうとしている」と言っているのを、ダーハムが耳にしたとも述べている。

 ムミア・アブ−ジャマルは、常に自分の無実を断固として主張し続けてきた。そして2001年の宣誓供述書で、彼は次のように述べている。
 「私は警官ダニエル・フォークナーを撃ってはいません。私は警官フォークナーの殺害とは無関係です。私は無実です。…私は決して何事も自白していません。なぜなら自白することなど何もなかったからです。」

ムミア釈放のために今こそ動員せよ!

 ムミア・アブ−ジャマルの事件は、資本主義国家の階級的性格というものの教訓的実例である。資本主義国家の司法制度は、徹底して階級的・人種的に偏見を持っている。この無実をでっち上げた警察と裁判所、ムミアが放り込まれた監獄の制度という生者の墓、殺そうと準備している死刑執行人、これら全ては、労働者階級と抑圧された人々への力づくの弾圧を通じて、資本家階級の支配を維持するために使われる組織された暴力装置なのである。リベラルや自称社会主義の諸組織や黒人民族主義者などによって掲げられた「新たな裁判」の要求は、資本主義の裁判所に正義が存在しうるかのような幻想をかき立ててきた。こうした幻想は、世界中でムミア防衛に立ち上がった何百万もの人々の運動を解体してしまったのである。

 今こそ、ムミアのために、アメリカ国内や国際的に、大衆的な抗議運動を再び燃えたたせる時である。ムミアの釈放は、不正手段で操る「司法」制度への信頼によって勝ち取ることはできないし、また民主党議員であれ共和党議員であれ緑の党の議員であれ資本主義の政治家への信頼を通じて勝ち取ることはできない。形勢を変えることのできる力は、この無実の人間の釈放を要求する闘争のなかで団結した労働者、人種差別主義に反対する若者、死刑廃止主義者といった何百万もの人々の力である。こうした展望にとって決定的に重要なのは、労働運動の動員である。その社会的力は生産を停止できるその能力に基づいている。われわれが1980年代半ばにムミア防衛を最初に取り上げて以来ずっと主張し続けているように、必要なのは労働者を中心とした統一戦線行動なのである。それは、完全に発言の権利を保障する一方、様々な政治的信念をまたいで効果的な抗議を生みだすことができる。

 今こそ、ムミア裁判を、人種差別主義の死刑や黒人への抑圧や政府の弾圧に対する結集した声にする時である。あなた方の声をあげ、あなた方の労働組合や大学や地域社会で組織し、次のように訴えなければならない。ムミア・アブ−ジャマルを釈放せよ!人種差別主義の死刑を廃止せよ!

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 パルチザン・ディフェンス・コミティは、全労働者の利益に関わる問題と運動を擁護する、階級闘争を実行し、非セクト的な、合法的・社会的防衛のための組織です。その目的は、スパルタシスト同盟・米国の政治的見解と一致しています。

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