『スパルタシスト』30号 |
2005年4月 |
かけはしグループに対する返答
なぜ中国は資本主義ではないのか
1949年の革命の獲得物を防衛し拡大せよ!
スターリ二スト官僚を打倒する労働者政治革命を!
ここ数年来少なくとも毎日のように、ブルジョア新聞や雑誌や夜のニュース番組などで中国の特集が組まれてきた。そのなかでは、中国経済が際限なしにトントン拍子で成長し続けていると言われている。つまり、中国はいくつかの重要な経済指標で日本を追い越し、すぐに「超大国」になるだろう。中国は「日本人のもの」である天然資源を「横取り」しようとしている。日本経済は対中国貿易のおかげで回復する一方で、高失業率の理由は、日本企業の多くがさらなる利益を求めて中国へと移転したことで、産業の「空洞化」が生じているためである。すぐに中国は外交的にも、政治的にも、軍事的にも、「アジアで最も重要かつ影響力のある国」として、日本に取って代わるだろう。こうしたブルジョアの宣伝キャンペーンとあいまって、日本帝国主義は昨年十二月に新防衛計画大綱を発表し、その軍隊の再配備を着々と進めるなかで、米帝国主義者とのあいだで安全保障協定を締結した。その協定には「中国の軍事的脅威に対抗し」台湾を防衛するというものが含まれている。(「スパルタシスト・日本グループとスパルタシスト同盟/米国の共同声明:米国/日本の反革命同盟を打倒せよ!中国と北朝鮮の歪曲された労働者国家を防衛せよ!」を参照)
こうした状況の中で、いわゆるトロツキストグループのかけはしは、中国では資本主義がすでに復活したと主張するパンフレットを発行した。かけはしはそのパンフレットで、日本の財閥と国際金融資本が、中国労働者を搾取するうえで、また一九四九年の中国革命の獲得物を掘り崩すうえで、演じてきた役割を消し去っている。二〇〇四年、中国における日本帝国主義の直接投資は五千九百四十億円だった。(『中国日報』、三月二五日)その投資は、もはや満州やハルピンや大連といった日本が植民地化した地域に留まらず、中国南端にまで拡張された。かけはしは中国に対する日本の軍事的挑発行為について何ら言及していない。かれらは、中国の歪曲された労働者国家の階級的性格を否定することによって、プロレタリアートの階級的利益に対する彼らの裏切りと彼らの資本主義との和解を正当化しようとした。要するに、全く欠落しているのは、プロレタリア国際主義の展望であり、プロレタリアートを導く意識的な、つまりはレーニン主義の前衛党の役割である。
瀬戸際の中国
一九四九年の中国革命は、官僚主義により著しく歪曲されていたとはいえ、世界史上 重要な意義を持つ社会革命であった。何億人もの中国農民が立ち上がり、彼らの先祖が残酷に搾取されてきた土地を奪取した。残虐な軍閥や吸血鬼の金貸しによる支配、貪欲な地主や卑劣なブルジョアジーによる支配は破壊された。この革命によって、女性は野蛮な纏足の習慣に歴史的に象徴される以前の悲惨な状態から脱することができた。そして、一世紀の間外国列強により略奪され分割されてきた中国は統一され、帝国主義支配の従属から解放された。
レーニンとトロツキーに指導されたボルシェビキのプロレタリア国際主義を指針とし階級意識を有したプロレタリアートによって実行された一九一七年のロシア十月革命とは異なり、中国革命は毛沢東のスターリ二スト民族主義勢力に導かれた農民ゲリラ戦の結果であった。毛沢東政権は、旧ソ連邦のスターリニスト官僚に倣って、物質的豊かさに基づく階級のない平等主義の社会である社会主義が一国でのみ建設できるという極めて反マルクス主義の見解を唱えたのである。実際には、この「一国社会主義」 は、国際的な労働者革命(例えば日本に)という展望に反対し、世界帝国主義に順応することを意味した。
一九五〇年代に、中華人民共和国は中央集権的な計画経済を確立し、農業は集産化された。外国貿易の国家独占は、社会化された経済がずっと発展した資本主義的帝国主義諸国の安価な輸入品で掘り崩されないように保護した。鄧小平下の中国では、官僚はユーゴスラビアやハンガリーの例に倣って「市場社会主義」へと移行した。産業の経営者や管理者は市場の収益性に基づいて報酬を受けたりペナルティを課されるようになった。工場閉鎖や解雇といった脅しはまた、労働者のあいだに労働規範を押し付ける手段になった。それと同時に、農業は脱集産化され「家庭請負責任制」に、つまり小自作農制度へと移行した。
中国革命の獲得物の多くが失われつつある。市場競争の圧力は、必然的に何千万もの貧しい農民に混じって富裕な農民の階級を成長させている。地方に住む一億三千万もの中国人が、職を求めて中国の東部や南部の沿岸地域へと移住した。教育と医療はもはや無料ではない。国有企業の労働者に仕事や福利を保障した「鉄鍋」はもはや存在しない。産業が閉鎖あるいは民営化されるなかで、失業率は著しく増大している。売春婦として働く女性の数は急速に増大し、農村部では女児殺害が横行している。
北京の官僚は本質的に、労働者国家に対する帝国主義の支配した世界市場の圧力の伝導ベルトとして活動している。この官僚階層の脆弱で矛盾した性格は、現政権が労働者階級の騒乱に直面して、たびたび経済「改革」のいくつかを撤回したり、ときには官僚のある部分を汚職で告発し、死刑宣告を下すことさえあるという事実のうちに見い出すことができる。昨年、農民による大規模な抗議や暴動に直面して、先の全国人民代表大会は、農村地域の学童が全て二年以内に無償で初等教育を受けられるようになるという発表をした。また官僚は今年初め、年末までには国内のほとんどの省で基本的な農業税を廃止すると約束した。
われわれは、中国が歪曲された労働者国家であり続けていると主張している。しかし、中国本土で新たに出てきた資本主義企業家そして台湾や香港で古くから地歩を固めているブルジョアジーが、中国で益々社会的重みを増しているのを否定したり過小評価したりするものではない。
今日、歪曲された労働者国家の枠組の内部で強力な資本主義復活への経済勢力の成長は、チトーのユーゴスラビアやゴルバチョフのソ連で見られたよりも、中国において現在すでにはるかに進行している。中国の官僚たち自身が外国資本家との合弁事業に主に携わっている。官僚は海外の中国資本や外国資本を国内に招き続けており、中国全土を資本主義の搾取へと開放しているのである。資本主義企業を奨励する北京のスターリニスト政権の経済政策(そしてそれに符丁した官僚による公式イデオロギーの右への移行)は、中国共産党がもはや現在の政治権力の独占を維持することができなくなったとき、帝国主義に支持された公然たる反革命分派や政党を台頭させる社会勢力を増々強化してきた。こうしたことは今日、中華人民共和国の一部である資本主義の香港ではっきりと見ることができる。そこにはブルジョアの野党が存在するのである。しかし労働者の利益に沿い特殊な例外の下で、日本と西洋の帝国主義者によって所有され、また台湾や香港などの中国ブルジョアジー、そして本土の中国資本家の新たな層によって所有された多くの工場や他の企業を、何の補償金もなしに収奪することが必要である。(「香港: 資本家を収奪せよ!」、『スパルタシスト』二〇〇四年四月を参照)
にもかかわらず、北京のスターリニスト官僚の政治権力は、中国経済の中核をなす集産化された諸要素に依然として基づいている。さらに共産党政権の経済政策は、その政権を打倒しかねない社会不安、とりわけ労働者階級による社会不安への恐れにいまだ制約されている。この恐れは一九八九年に現実のものになりかけていた。この年、政治的自由化を求め腐敗に反対する学生中心の抗議行動が、自然発生的な労働者の反乱を引き起こしたのである。そしてこの反乱は、政権に忠実な軍隊により大殺戮のうちに鎮圧された。
社会革命は所有諸関係のうちに、そして勤労者の意識のうちに依然として存在している。トロツキストは、労働者国家が資本主義列強に軍事的敗北を喫すのを防ぐため、労働者国家を無条件に防衛する。なぜなら、こうした国家は集産化された財産に基づいているからである。同時に、われわれは反動的な官僚を一掃するプロレタリア政治革命を呼びかける。なぜなら官僚の政策は、労働者国家の防衛を掘り崩しているからであり、中国を資本主義反革命の瀬戸際へと追い込んでいるからである。官僚の独裁政治に代わり、労働者、兵士、農民の直接的な機関として、ソビエト(労働者評議会)が創設されなければならない。このソビエトは、あらゆる部面で労働者、兵士、農民自身の国家を組織し運営する手段となるだろう。
これこそ中国プロレタリアートの最も根本的な歴史的任務である。この任務を実現するのに必要なことは、レーニン主義トロツキスト党の創設である。この党は、国営企業の労働者の闘争を私的企業の労働者の闘争と結び付け、また移民労働者や貧農や女性による闘争と結び付けるだろう。さらにこの党は漢排外主義に対して闘うであろう。国際共産主義者同盟は、こうしたマルクス主義の綱領を中国の労働者や農村の勤労者にもたらそうと専心している。
かけはし対トロツキー
ここ十年ほどの間、かけはしグループは、その機関紙で中国問題を公然と議論してきた。つまり中国は依然としてある種の労働者国家であるのか、あるいは資本主義が復活してしまったのか、といった議論を行ってきた。かけはしのメンバーは中国の階級的性格の問題に関して同意に達していなかったようだが、行動においては、彼らの党は、親資本主義の中国民主党からCIAに支援されたダライ・ラマに至る資本主義復活勢力に味方してきたのである。一九九九年、かけはしは、中国の江沢民国家主席の訪日に抗議する東京での街頭デモを組織した。この抗議は日本における反中国排外主義者にしか訴えることができなかっただろう。かけはしグループの議論は、彼らがトロツキストと考えていた自身の綱領を公式に拒絶することによって、また階級社会というマルクス主義の概念を否定することによってあらかじめ進められ導かれた。
「ソ連・東欧ブロックの崩壊によって、国際的な革命運動の構造はまさに本質的な転換を遂げたのであり、われわれの従来の綱領的立場もまた、転換することが必要なのである。…『階級的視点』のさまざまな要素の根本的見直しが必要だということである。…あらかじめ確立した『階級の綱領』が存在し、そこからさまざまな運動の『限界』を批判するという思考方法は決定的に過去のものとされなければならない。」(『世界革命』一九九五年十月三十日。『世界革命』は『かけはし』の過去の名前)
二〇〇四年の夏、かけはしの出版社である新時代社は、『沸騰する「資本主義中国」普通の「帝国主義大国」への軟着陸は成功するか』と題したパンフレットを出版した。このパンフレットの基本的前提は次の通りである。すなわち、スターリニスト官僚に関するトロツキストの分析は時代遅れであり、「反官僚政治革命の時代は終焉した」というのである。かけはしは、彼らの香港の同志である先駆との議論の後で、中国官僚が共産党支配の下で一九九〇年代にすでに資本主義を復活していたと確信した。そして、かけはしによれば、この復活の過程にはしばらく時間を要した。中国労働者は九十年代中頃に資本主義が復活する危険を知った。しかし、この頃までには労働者は生産の統制力を喪失しており、そのためいかなる抵抗も行うことができなかった。つまり、すでに手遅れとなっていた。さらに、かけはしは資本主義反革命が起こった三つの主要な理由を挙げている。第一に、一九九〇年代に官僚は「資本の原始蓄積」の過程に着手した。第二に、資本家が共産党員になることを認められた。第三に、私有財産の保護を保証するよう憲法が改正された。かけはしによれば、現在中国共産党は資本主義的国民政党である。そしていま中国に必要なことは社会主義革命である。
われわれは後ほど、なぜかけはしの立場がマルクス主義とは何ら共通点がなく、実際にはきわめて社会民主主義的であるかを説明する。ここでは、中国が前世紀に資本主義になったと彼らが主張している理由のうち二つは、実は今世紀に起こったということを指摘しておく。共産党員のなかに何年も前から資本家であったものがいたことを共産党が正式に認めたのは、二〇〇二年のことである。そして、憲法が改正されて私有財産が認められたのは、昨年二〇〇四年三月の党大会においてである。
中国がどこへ行くのかを決定するのは、中国官僚が承認したあれやこれやの決定ではなく、社会的な対立である。もちろん官僚の諸決定は危険な展開に導くが、中国の歪曲された労働者国家の階級的性格に関する結論をもっぱら官僚の行動のみを前提とすることは、労働者階級が単に官僚または帝国主義への受動的な存在だと規定するものである。かけはしがしたことは、中国プロレタリアートを資本主義反革命に対する闘いにおける闘争者として考えに入れないということである。
ところが、かけはしと先駆は、実際中国に社会主義をもたらすのは中国のスターリニスト官僚であると考えていた。小見出し「社会主義への闘いを放棄」のもとで、先駆の代表者は、次のように書いた。「一九七九年に鄧小平が権力を握った後、『計画経済』は段階的に『社会主義市場経済』(『資本主義』と読み替えるべきだが)に地位を譲っていった。社会主義の前途は徹底的に放棄された…」(『かけはし』三月二一日)。しかし、中国官僚は、毛沢東から胡錦涛に至るまで、「社会主義的見解」を決して抱いていなかったし、現在も抱いていない。一九四六年にいたっても、毛沢東は蒋介石率いるブルジョア民族主義の国民党政府との連立政権を依然として追求していた。そして革命後に、毛は「一国社会主義」という反マルクス主義のドグマに基づき、官僚主義的に中央集権化した経済の枠組みの中で、自給自足経済を通じて貧困化した中国を「社会主義」大国に転化しようとした。しかしこうした民族主義的展望のなかに、官僚が鄧小平の下で「中国独自の社会主義」と呼ばれた「市場改革」を実行する原因が存在したのである。中国がベトナム戦争中に米帝国主義との同盟を取り結び、インドシナからアフリカに至る革命闘争を裏切ったのは正に毛沢東政権下のことであった。中国は、例えばソ連赤軍に対しCIAに後押しされたアフガンのムジャヘディンを支援することで、ソ連邦における資本主義反革命の勝利に貢献した。官僚は国有財産を保持し続けているが、しかしそれは社会主義との主観的な同一視があるからでなく、トロツキーが述べているように、「官僚がプロレタリアートを恐れている程度においてのみ」保持しているにすぎないのである。
いかにして、十年もの長きに亘るゆるやかなブルジョア反革命が可能なのであろうか。真のトロツキストならば、ブルジョア反革命と闘うことなしに、または数年たっても反革命に気付きすらせずに、こうした歴史的敗北が生じるがままにしておくことなどしないだろう。トロツキーはソ連邦で資本主義が復活するのを見ないでこの世を去った。そして、資本主義復活がどのようにして生じるかという彼の予見した事態、つまり内戦という事態は起こらなかった。しかし、かけはしのメンバーはソ連邦と東欧の反革命的破壊の時代を生きてきたし、それが徐々に進行したものではなかったのを承知しているのである。
旧ソ連や東欧で起こっている前例のない経済的、社会的崩壊は、官僚主義的に歪曲されてはいたが、計画化され集産化された経済が実際どんなに歴史的に進歩的であったかを示す真の尺度である。資本主義復活がどんなものになるかに関するトロツキーの予見は正しかった。資本主義の諸法則は、完全な経済的崩壊に帰着し、さらに全面的な民族主義の兄弟殺しへと帰着した。平均余命は劇的に低くなり、ロシア男性の平均寿命は五七・五歳へと急落した。実際、ソ連邦における反革命以後六年間というものは、死亡者数が出生者数を上まわっていた。栄養失調は学童の間で普通のこととなっている。生産、技術、科学、輸送、暖房、下水道の社会的基盤は分解している。そして国内総生産は、一九九一年から九七年の間に八〇パーセント以上も減少した。
これこそ資本主義反革命がどんなものかを物語っている。旧ソ連邦は世界の産業及び軍事大国であった。中国は旧ソ連邦よりも経済的にはるかに立ち後れているため、中国での資本主義復活は一層ひどい状態になるだろう。それは中国の人々の貧困化を拡大させるだろう。そして経済的崩壊だけでなく、国家の分解や流血の政治的混乱といった危機をもたらすであろう。さらに、中国経済はある程度世界経済に組み込まれているため、世界中の労働者は悪影響を蒙るだろう。日米の飢えた帝国主義の野獣が略奪品のために競い合うなかで、中国に対する現在の日米同盟は崩れ去るだろう。
資本主義はさらなる発展への加速剤ではなく裂け目である
マルクス主義の革命的綱領は、戦争、社会的抑圧、階級の搾取、そして不平等に対する道義的嫌悪感に基づいているのではない。それは、資本主義が生産力の発展を阻害し、より優れた経済制度に取って代わらなければならないという、客観的条件に基づいている。そして、この優れた経済制度は、資本主義社会に内在するあらゆる害悪の源を一掃する。
かけはしは、中国の反革命を、中国が最高の成長率を経験してきた時期に置き、また中国が労働者の闘争や農民暴動で揺れていたときに置いている。最近五年の間、中国の北東部から沿岸部や奥地に至るまで、労働者たちは集産化された財産を防衛して抗議行動を行ってきた。彼らはこの財産を自分たちのものだと考えているのである。自身の敗北主義で全く盲目になっている人だけが、こうした労働者の行動を見落とすことができただろう。
過去二十年の間、中国経済は毎年およそ七パーセントから九パーセントの割合で急成長を続けてきた。それは主要な帝国主義列強でさえ比べものにならない成長である。一九九八年から二〇〇一年の間に、中国政府の支出は国内総生産の十二パーセントから二〇パーセントへと増大した。政府支出のなかで最大にして最も急速な伸びを占めているのはインフラへの投資で、上述した三年の間に八一パーセントも増大している。しかも、こうした成長は資本主義世界全体が緊縮財政を追求している時期になされたのである。中国は、一九九七年から九八年に東アジアを襲った金融・経済危機、そして後に世界中の資本主義諸国へと広まった景気後退をうまく切り抜けた。もし中国が資本主義であり、そしてその経済が(資本主義に固有な)周期的矛盾なしに成長し続けているならば、このことは、われわれが資本主義の反動と腐朽の時代に生きているというレーニン主義の根本的理解を否定するものである。もし生産力の急速かつ着実な発展を保証する資本主義制度が今日存在するならば、資本主義諸国におけるプロレタリア革命と労働者の階級支配の必要性と進歩的性格に疑問が投げかけられることになる。
中国共産党指導部は、中国を「社会主義市場経済」として、公式に述べている。近年、中国におけるプラスの経済発展をもたらしたものは、「社会主義」(つまり集産主義)の側面である。そして、マイナスの発展をもたらしたものは、中国経済の市場という側面である。つまりそれは、拡大し続ける貧富の格差、多くの民衆の間に広まり続ける貧窮化、国有企業からの何千万という労働者の解雇、農村ではもはや生活できなくなり都市へと流入する貧しい移民の群れなどである。
今日の中国において、安定し一貫した仕方で存在してないにせよ、支配的であり続けているのは経済の中核となる集産化された諸部分である。二〇〇三年には、国有企業または部分的な国有企業(国家の持ち株会社)は、中国の七億五千万人にのぼる労働者のうち約半数を雇用し、総工業生産高のうち五十七パーセントの割合を占めた(『マッキンゼー・クオータリー』、二〇〇四年)。しかしこの単純な統計数字は、国有企業の戦略的中心性を曖昧にしている。
(外資系企業を含めた)民間部門は、労働集約的方法で軽工業品を生産する工場から大部分成り立っている。重工業やハイテク部門や最新の軍事兵器生産は、圧倒的に国有企業に集中しているのである。中国が宇宙に人を送り出すことができたのは、正にこうした国有企業である。さらにずっと重要なのは、中国が核兵器や長距離ミサイルを造り帝国主義者による核の先制攻撃の脅威を回避できるのは、正に国有企業の存在があるからである。
中国の主要銀行は全て国営である。この国の家計貯蓄のほとんど、金額にしておよそ百八兆円は、四つの主要な国営銀行に預けられている。中国政府による金融システムの統制は、国有企業における生産を維持し拡大したり、また国有部門の全般的な拡大にとって重要なこととなってきた。金融システムを国家の所有に委ね続けることで、中国政府は中国本土に出入りする貨幣資本の流れを現在に至るまで(完璧にではないが)効果的に統制することができたのである。中国通貨は自由に両替することができない。国際通貨市場では(法律上)取り引きされてはいない。通貨元の両替を制限することで、中国は、ラテンアメリカから東アジアに至る第三世界の新植民地諸国の経済に対し周期的に大打撃を与える短期資本の不安定な動きから、自身を分離させ続けてきた。さらに、中国政府は(「自由市場」の用語で)一層の元安を持続してきた。このことは、米国、日本、ヨーロッパの資本家たちを大いにいらだたせている。世界中の帝国主義諸勢力が排除しようとしているのは、正に中国経済の中核となるこうした集産主義の諸要素に他ならないのである。帝国主義諸勢力の究極の目標は、中国を新植民地隷属下の巨大な搾取工場へと変えてしまうことなのである。
国家的に孤立し比較的経済的に遅れた労働者国家が安価な商品の流入に対し取りうる主要な手段は、外国貿易の国家独占、つまり政府による厳格な輸出入の統制である。北京官僚による外国貿易の厳格な国家独占の放棄は、帝国主義の目論みを促進するのに役立っている。中国経済は、その近年における急速な成長にもかかわらず、弱小の資本主義的帝国主義諸国に比べてさえ立ち後れている。中国の輸出は記録的なレベルで増大し続けているものの、それは主として、衣類、玩具、家庭用品のような低賃金、低価格の軽工業品や消費財から成っている。中国が一九九三年から二〇〇二年の間に示した五兆二千億円から百四十兆円という総工業生産高の伸びは、機械類や資本設備といった工業生産物の買入総額の増大でほぼ完全に相殺されてしまった。中国の経済的後進性にたいする究極的な答え、そして社会主義社会つまり階級のない平等主義の社会への唯一の道は、世界社会主義革命のなかに在り、中国が国際的な計画経済へと統合することに在る。
自身を富ます官僚は資本の原始蓄積と同じものではない
かけはしによれば、一九九〇年代、民営化された企業の経営者となった官僚たちは、利益を着服し、株を売買したり農地の使用権を売買したりして富裕になり、現在では労働者を解雇している。かけはしは、その政治的欲求にマルクス主義的体裁を与えようとして、この過程を「資本の原始蓄積」と言い表している。
かけはしが述べているこうした官僚の状況は、それよりずっと小規模であるが、日本のいくつかの労働組合官僚のありさまと類似している。その一例が自治労である。百万人を擁するこの強力な労働組合の誤った指導部は、組合員から毎月組合費を徴集して、私腹を肥やした。彼らは組合の「関連子会社」を設立したが、その収益は組合員の境遇改善とか政府に対する将来の階級闘争の準備に使うため組合に還元されない。収益のいくらかは労働組合官僚のふところへと収まっていく。さらに、子会社の経営を監督したり、生産を管理したり、労働者を解雇しているのもこの労働官僚に他ならないのである。かけはしは今、自治労が資本主義団体であり、真の労働組合ではないと主張できるだろうか。つまり指導部が完全に親資本家である自治労は、政府に対して防衛すべきでないと主張できるだろうか。
中国の官僚たちが現在やっていることは、労働者の立場からすれば確かに犯罪である。しかし、それはマルクスが「資本の原始蓄積」で説明したこととは違う。マルクスは、西欧における資本主義発達の初期の段階に言及するため、この用語を用いたのである。当時ブルジョアジーによって収奪される巨大な経済的余剰は、まだ賃金労働からではなく、農民や植民地の奴隷労働から引き出されていた。こうした富はそれから資本へと転換され、ヨーロッパの産業化の初期資金源として使用された(マルクス『資本論』の「資本と剰余価値の理論」を参照)。マルクスが資本の原始蓄積で説明した意味を理解するには、明治初期の一八七三年に日本で制定された地租改正について考えてみるとよい。この時、明治の指導者たちは、農民に対し極めて苛酷な搾取を行い、その結果獲得した経済的剰余を産軍複合体の急速な建設に注ぎ込んだのである。
企業家へと転じた中国官僚が私物化した経済的剰余が、例えば不動産といった個人的な消費や投機のために使用されているかぎり、それは資本の蓄積とは正反対のものである。むしろそれは、社会における既存の生産的富の浪費であり、社会的寄生性の一形態である。中国では過去二十年の間に、企業数とか労働力とか生産量から見ても、かなりの部分の国有産業が民営化されてきた。ほとんどの中小企業は単に個人に売却され、通常はそれまでその企業を運営してきた経営者に売却された。しかしながら、より大きな企業は株式保有計画を通じて「民営化」された。十年ほど前に、中国が初めて株式市場を開設した時、ブルジョアメディアの多くはこれを歓迎し、そして「共産主義」中国が資本主義に向かって決定的な一歩を踏みだした証拠と報じた。しかし、実際には何が起こったのだろうか。
中国の二大株式市場に上場された一二五三社のなかには、政府が過半数の株を保有している会社もあるし、わずかな株しか保有していない会社もある。しかし、後者の場合でさえ、共産党が政治権力の独占を保持しているために、政府の実質的な統制を依然として受けている。『フィナンシャル・タイムス』三月二八日号によれば、「上場企業で発行された全株式のうち三分の一だけが株式市場で自由に取り引きできる。残りは、ほとんど国家か国営企業が直接保有している。…新規株式公開の許可はまずは国営企業に与えられ、民間企業は資金調達が困難な状況に置かれている。」中国には労働者民主主義は存在しない。しかし株主の民主主義も存在しないのである。中国企業の株主は、資本主義の意味での所有権を持っていない。彼らは自身の金融資産から収入を得る権利を持ち、自身の保有する株式を売却することはできる。しかし、企業経営や企業方針を決定することも、それらに影響力を行使することすらできない。これらは、様々なそしてしばしば対立しあう政治的経済的圧力によって決定されるのである。
共産党内の資本家たち
鄧小平政権が一九八〇年代初めに市場志向の経済「改革」を導入して以来、ブルジョア世論や一部の左翼は、中国共産党が政治権力をしっかりと掌握しつつも、自身の手で資本主義を徐々に復活させていると主張してきた。二〇〇二年の中国共産党第一六回全国代表大会で資本主義企業家の党員資格が正式に承認されると、こうした見解は広範にまたそうぞうしく主張された。実際にはこの大会では、六千六百万人の党員から成る党の社会的構成にも、またその運営上のイデオロギーについても、重要な変更は導入されなかったのである。ある公式の調査によれば、二百万の民間企業オーナーのうち、現在六十万人が共産党員であり、しかもしばらく前から党員である。そのなかの圧倒的多数は長期にわたり党の運営的カードルであった。そして彼らは、運営していた小規模な国有企業が過去何年かの間に民営化されると、その運営を引き継いだのである。
かけはしは、「中国共産党は公式に資本主義的国民政党となり、共産党一党支配体制の下で中国国家は公式にブルジョア国家となった」と主張している。官僚の多くは自身も自身の子供も資本主義中国で支配階級の地位に付くことを強く望んでいるかもしれない。しかし、これには労働者国家を破壊して新たにブルジョア国家を創設する社会的反革命を必要とするのである。東欧とソ連邦では、カーストとしての官僚は自身を資本家階級に転換しなかった。彼らは、その政治的諸機関を解体したように、支配する共産党を解体した。その後、官僚の様々な分子は敵対的な政治諸党派へと組織再編し、多くの場合には、かつて彼らが弾圧した反共の「反体制派」と統合したのである。東欧と旧ソ連邦に新たに出現した資本家階級は、様々な国で勢力を異にしてはいるが、官僚やさらに知識人といった分子に由来する。そして彼らの多くは、少なくとも経済的には、まったく特権的な人々ではなかった。もし中国に資本主義反革命が起きたならば、スターリン主義ボナパルティズムの崩壊と支配的共産党の政治的分解とが伴うであろう。
近年における中国の著しい経済成長は、中国共産党指導部や党カードルや党知識人の間に勝ち誇った雰囲気を生みだしている。しかし、国有企業から解雇された何百万もの労働者、農村出身の貧困にあえぐ移民、粗末な道具でわずかな土地をあくせく耕し辛うじて暮らしをたてる貧農の間には、全く異なる雰囲気が確かに存在する。胡錦濤とその一派は、毛沢東主席の全く無謀な空想をも凌ぐ誇大妄想に駆られている。
現在の中国共産党指導者たちは、世界資本主義経済へのさらなる統合を通じて、中国を近代化し世界の大国へと、二十一世紀の超大国へと転換することができると信じている。そして自国を発展させるために、シティバンクや東京三菱銀行やドイツ銀行を統制しあやつることができ、その結果一世代か二世代のうちに米国や日本やドイツを追い越すと本気で思い込んでいるのである。彼らは、中国を世界の超大国へと転換させつつあると信じているが、実際には奔放な帝国主義の従属下にあった革命前の時代へと戻る道を掃き清めているのである。
憲法の改正は国家の階級的性格を変えることはできない
中国の官僚たちは、二〇〇四年に開催された全国人民代表大会で、憲法を改正した。その中で「公民の合法的な私有財産は侵犯されない」とした。そして政府は、人々をなだめようとして、この改正により役人が私有財産や所有物を徴収するのを防止できると発表したのである。この改正は間違いなく危険な展開であり、この危険を中国労働者の一部は理解している。こうした改正は二年前の中国共産党第十六回全国代表大会で初めて提起されたが、大衆の激しい反発を引き起こした。
この憲法改正は、かけはしが中国で資本主義が復活したと決断する理由の一つである。かけはしは、狡猾にも自身に正統派トロツキズムの装いを与えようとして、トロツキーの『裏切られた革命』から引用さえしている。この引用は陰険なものである。なぜなら彼らが使った引用箇所の直後の章は、相続権と「個人財産の保証」を導入した一九三六年のソビエト憲法を扱っているからである。トロツキーは、憲法のこの新たな規定が官僚の利益のために利用され、ソ連の労働者大衆の利益のためには使われないことを理解していた。
「…農民や労働者や事務職員の小舎や牝牛や家財道具を法律で守ってやることが、官僚が…『社会主義』の原理にのっとってわがものにした邸宅、別荘、自動車その他のすべての『個人の消費財や設備』を適法化するのである。ともかく官僚の自動車は新しい基本法によって農民の馬車よりはしっかりと守られるであろう。」
トロツキーはさらに次のように警告した。「新憲法は『超階級的』官僚の絶対主義を法的に認証することによって、新しい有産階級の誕生の政治的前提をつくりだそうとしている。」しかし彼は付け加えている。
「もしもまだまったく生まれたばかりのこうした関係が勤労者の抵抗にもかかわらず、あるいはその抵抗もないままに固定化し、常態となり、適法化されるとするならば、究極的にはプロレタリア革命の社会的獲得物は完全に失われてしまうことになるであろう。しかし今それについて云々するのは少なくとも時期尚早である。プロレタリアートはまだみずからの断をくだしていない。」
中国の新たな憲法改正は既存の現実を反映したものである。私有財産は何年もの間存在している。相続は一九八二年から存在している。官僚は、この憲法改正にともない、私有財産と相続権に合法的な承認を与えることによって、彼らの特権を確かなものにしようとしているのである。二〇〇三年十一月末の時点で、総計四兆四千億円を超える資本をもつ二百九十七万社の民間企業が存在した(中国大使館のウェブサイト参照)。これは莫大な金額に思えるが、一社あたりにすると百四十万円ぐらいとなる。この金額は日本のほとんどの労働者が往々にして退職金で受け取る額である。
中国における私有財産は、官僚自身と同じくらい不安定である。私有財産と資本家は、官僚がその存在を認める程度において、今日中国に存在している。その官僚は、一方では帝国主義の圧力の下で、他方ではプロレタリアートの圧力の下で活動しているのである。私有財産が「不可侵」とされるかどうかは、憲法によって決定されるのではなく、社会的対立によって決定される。官僚が、プロレタリアによる闘争の衝撃の下で、あるいはまた帝国主義者やブルジョアジーによる公然たる反革命の脅威の下で、自身の立場を覆し、「不可侵」の私有財産を侵害する可能性もある。
中国が資本主義であると主張するものは、古典的なマルクス主義の根本的諸要素、通常のその国家理論を拒絶しなければならない。もし労働者国家が、たとえ歪曲されているとはいえ、かけはしの主張するように憲法改正によって資本主義国になることができるならば、論理的に言ってその逆もまた真実となる。すなわち、例えば日本のような資本主義国家が、日本国憲法を変えることによって労働者国家へと転換しうることになるのである。これは、警察、裁判所、軍隊といった資本主義国家機構を粉砕し、財閥やその他の資本家たちを収奪し、労働者統治機関を創出する労働者革命の必要などないということを意味する。従って、レーニンとトロツキーが建設したのと同様な党、プロレタリアートを導くことができる党の必要性など何ら存在しないのである。これこそ社会民主主義の歴史的立場に他ならない。トロツキズムの最後の見せかけをかなぐり捨てたかけはしは、今や完全に社会民主主義として迎え入れられるのである。
真のトロツキズムのための闘争
国際共産主義者同盟は、過去四十年間に亘って、トロツキストの仮面をかぶった詐欺師を暴露してきた。彼らはトロツキーが依って立つあらゆる原則的立場、とりわけ独立したトロツキスト前衛のための闘争を放棄しているのである。反共主義の反革命勢力を歓迎したものたちは、労働者階級が懸命に闘い取った獲得物を売り渡した責任を共に負っている。彼らは公然とその本性をあらわにしている。つまりトロツキストではなく、十月革命に対する裏切りものであるその本性をあらわにしているのである。
かけはしの国際組織、統一書記局派は、ソ連邦と東欧における反革命と民族主義のあらゆる運動を支持した。彼らは、教権的民族主義のポーランド連帯を革命的な労働者階級の運動の模範として歓迎した。また統一書記局派は、バルト諸国の民族主義運動を担うファシスト的集団を擁護したが、その運動は「独立」を装って資本主義復活を追求した。資本主義反革命の重要な闘争の場は、一九八九年から一九九○年にかけての東ドイツをめぐる闘争であった。即座に提起されたのは、西ドイツの社会主義革命と結合したプロレタリア政治革命か、それとも帝国主義の第四帝国へと導く資本主義再統一かということだった。この決定的な時に、統一書記局派は政治的に麻痺状態に陥ってしまったのである。彼らは、資本主義再統一をシャンペンで歓迎すべきかそれとも鎮痛剤で迎えるべきか、決定することができなかった。反対にわれわれは、手遅れになる前に、東ドイツでのプロレタリア政治革命に向けて持っているあらゆる手段を講じて闘った。それはベルリンから北京に至る世界のプロレタリアートによる反資本主義の獲得物を防衛する唯一の方法だったのである。われわれは敗北した。しかしこの闘争の教訓は、国際的なプロレタリアートの将来の闘争にとって重要なものである。
ロシアにおける反革命の中心的出来事は、「非常委員会」の落ちぶれたスターリニストによるばかげた「ペレストロイカクーデター」に対する、一九九一年八月のエリツィンの「反クーデター」であった。何十年ものスターリニスト支配によって、アトム化され意気消沈した労働者階級の侵入する資本主義反革命に対する大規模な抵抗がないなかで、エリツィンは、帝国主義に後押しされた「民主主義」に向けて権力を掌握し打ち固めた。これはソ連の堕落した労働者国家の破壊を意味したのである。この出来事が起こった時、統一書記局派は一丸となった。彼らは真っ先に反革命のバリケードの側についたのである。かけはしは、ソ共産党に向けられた反共赤狩りを支持さえしたのである。「ソ連共産党は解体されるべきであり、解体されなければならなかった。それは、再低限の政治的民主主義を確立する闘いの出発点なのである。」(『世界革命』、一九九一年九月十六日)
プロレタリア政治革命か資本主義反革命かという中華人民共和国の運命は、世界中の労働者階級にとって途方もなく重要である。中国の労働者と農民は、過去十年の間、多くの闘争を行ってきた。しかし彼らはばらばらで指導部もないのである。つまり官僚の政治支配を打倒し、労働者、兵士、農民のソビエトの手に権力を掌握するという展望を持った指導部がないのである。国際的なトロツキスト党は、自然発生的で各地域の労働者の闘争を調整し指導するとともに、腐敗した中国官僚に対する闘いを、北朝鮮とベトナムの労働者によるスターリニスト支配者に対する闘争と結び付けるだろう。そうした党は、労働者革命に向けて闘っている日本の同志と共同して活動し、またフィリピンと韓国の資本主義支配者に対する戦闘的な労働者の階級闘争と共に活動するだろう。帝国主義の日本における社会主義革命を通じてのみ、社会主義アジアの発展のための礎が築かれるのである。